帰宅しました
ppsで5月21日福島市内「なまず亭」、翌22日石巻市内「La Strada」で演奏してきました。
このライヴは東日本大震災前にブッキングされていました。
震災後、4月3日にライヴ決行の知らせをうけました。
僕はあまり東北地方で演奏した経験がなく、福島はポップスバンドのサポートメンバーで
15年前くらいに二度三度、石巻にいたっては行ったことすらありません。
そのような者がこの大変な時期に演奏しに行って良いものか、心の中でひっかかりがあるまま現地入りしました。
そのときの心の移り変わりは、前記「pps東北へ」にTwitterの文章を掲載したのでそちらを読んでいただけたら。
帰宅後の文章です。
石巻では、とにかく視界に飛び込んでくる景色があまりにショッキングでした。
携帯で写真を撮ることも迷ってしまうほどで、実際写したものも手ぶれしています。
街を案内してくれたLa Stradaのマスターご夫妻の「しっかり見てください」という言葉に、やっと冷静さを取り戻しました。
以下、終演後お客様たちとの会話から心に残ったものを書き出します。
「復興とかゼロからのスタートっていうけどね、とんでもねぇよ。復興どころじゃないし、すげぇマイナスをくらっちまったわけで
なんとかゼロに戻そうとしてるわけ。瓦礫がなくなって、やっとゼロ。そこから復興」
「今日きてくれてありがとね。毎日毎日お~んなじことばっかやって、もう飽きちゃってたとこなんだよ」
「せっかく来てくれたんだから、東京帰ったら見たまんまを伝えてほしい」
「報道は一部分しかされてない。せっかく報道してくれても脚色ばっかり」
「石巻は電気も水道も復旧してるから、全然いいの。もっとたいへんなとこがあって、沢で洗濯してるとこもある」
「この辺はね、眼に見えるもんと戦ってきゃぁいいけどね、福島はたいへんだ。眼にみえねぇもんとたたかわなきゃいけねぇ」
「外は臭かったろう?ヘドロの臭いで頭痛くなっちまうんだ。」
「ご飯ばかり食べて(野菜が手に入らない)血糖値があがって亡くなったり具合が悪くなってるお年寄りがでてきているけど、そういうことは報道されない」
「すべて正直に発表されたら福島に住めなくなってしまうかもしれない・・・」(僕の「東電や政府は原発事故について隠していることが多いのでは?」という発言に)
ここからは主観です。
自分達も充分悲惨な状況なのに、もっとひどい所があると言う。
優しい人たちだ。
命を落とした人をたくさん見て、生き残った自分は、と考えるとそういうふうになるのだろうか。
とにかく元気にしていた。
そうしていないとやってられないという面もあるのでしょう。
なんとも言えない気持ちになりました。
福島市内は見た目には、壁面材がはげ落ちていたりしていましたが、まぁなんとか普通でした。
が、たしかに街の人たちの心をおおう「忍び寄る不安」の気配は感じました。
福島、石巻どちらも長い年月にわたる大きな問題をかかえています。
自分にできることは何か、じっくり考えてみます。