パンデイロヲタタケバ後記 スピーチ篇
「パンデイロヲタタケバ」スピーチコーナーの記録です。
(こちらの記事の写真は、すべてMENGOさんの作品です。)
まずトップバッターは、小澤の高校時代のサッカー部同期のマネージャーだった下村晴美さんより、
サッカー部のキャプテンだった小澤の姿をスピーチしていただきました。
次に、高校卒業後、アルバイトをしながらミュージシャンを目指していた19歳だった小澤が、
ちょっとしたきっかけで渡辺亮さんと出会い、武蔵美サンバ研究会に加入したいきさつを、
当時のメンバー、大塩美香さんにスピーチしていただきました。
(亮さんは、1階ギャラリーにて、写真アートを制作中)
その次は、高校時代〜青春共同生活時代の事を、
高校の同級生の佐川淳人さんにスピーチしていただきました。
佐川さんは、闘病中の小澤を笑わせるような事をいつもひょうきんにおっしゃっていて、
彼らの書いた寄せ書きを小澤は病床に飾り、棺にもそれを着て旅立ちました。
この「パンデイロヲタタケバ」では、彼らの中からPAを橋本正司さん、比留間整さんが担当してくださりましたが、「小澤敏也の52年の人生をフラットに振り返られるように」という助言を彼らにいただいたことで、この会の礎ができたと思い感謝に絶えません。
続いて、「でんでらキャラバン」より、
赤松千里隊長のスピーチ。
今回は、遺言で「アレイホール」で偲ぶ会を行いたいという事で、
会場との橋渡しと、フードのスタッフとのつながりをつくっていただきました。
「Yemeshi」の中野さん、「ごはん処もくしゃ」の水野さん、
ブラジルが好きで故人の大好物だったフェイジョアーダが大好評でした。
ありがとうございます!
隊長の呼びかけで、「でんでらキャラバン」の隊員たちが、次々とステージに集まってくださいました。
ピアニカ王子こと、大友剛さん。
バイオリストで、「でんキャラ」では、フードも担当してくださっていた松井亜由美さん。
「あそびま書」の書道家で、後ろの横断幕(ブラジルの国旗をイメージしたもの)や、当日にギフトを入れた紙袋の「パンデイロッカー印」を制作された山田麻子さんは、今回は、「つるさんの好きな甘いもの」を担当で、「甘太郎」からの手配と搬入もしてくださいました。
ブラジル音楽業界ではなく、「でんでらキャラバン」からという事で、ベースの沢田譲治さんからも一言を頂戴いたしました。
小澤は、2013年7月に病気を押して、「福島ビアフェス」、「でんでらキャラバン福島テルサホール」の公演を二週にまたいで敢行しました。前週を兄パーカッショニストと慕う渡辺亮さんと、後週を亮さんが「兄さん」と言っている「沢田譲治」さんと共演という事を、とても縁のある事だと言っていました。
「亮さんにとって兄さんなら、俺にとっても兄さんなんだよな。」
その他、写真には写っていませんでしたが、
アロマテラピーの京ケ島弥生さんのスピーチ、
今会の映像担当の「でんでらキャラバン名誉隊員」の森谷博さんのご紹介もありました。
小澤敏也の晩年の活動としては、被災地支援の「でんでらキャラバン」に力を入れていましたが、
311の震災当日には、国立ノートランクスにて、PPSの渡辺隆雄さんと時間を共有しています。
そして、震災後間もなく、PPSで津波被災地に足を運び、石巻ラストラーダ周辺の風景を、渡辺隆雄さんと目に焼き付けて帰ってきています。
「自分は福島専門部隊だから」と言っていたのは、
フォルクローレの木下尊敦さんらのつながりから、「コスキン」などの福島のイベントに参加させていただく事が多く、特別な思いがあったのだと思います。
こうして、高校時代から、
晩年の活動までを知る人々に小澤敏也を語っていただく機会を持っていただく事で、
小澤敏也のプロフィールのコピーを書いてくださった岩田舞海さんの言葉が浮かびます。
「ワン&オンリーを伝導する熱い男!」
中心スタッフとして関わったPPSの渡辺隆雄(舞台監督)さん、KINGの佐野篤さんは、今回は、親しい身内ならではの配慮で、自分がスピーチをする時間があるのなら、他の人に譲りたいという事で辞退をされました。
スピーチとしては、登場しなかったのですが、上記のお二人や、
本ホームページ作成にご尽力いただき、記念品やドリンクチケットのイラストをご提供いただいた柚木ミサトさん、
大阪で10年間パンデイロワークショップを企画してくださったユリ紅茶さん、
最後の1ケ月の在宅看護を担当してくださった看護師さん、
二世帯住宅で同居をしながら助けてくれた兄家族の皆さんも、和やかな会のムードのもと、
司会の会話の中に参加していただくような気持ちでご紹介させていただきました。
スタッフ紹介も進行中にさせていただきました。
総括補助と進行をしてくれた元こどもの城・PPSのフライヤー製作の「りかおちゃん」、受付などにたくさんの実働舞台を「こどもの城」から派遣してくれた「ゆかりちゃん」率いる「こどもの城スタッフ」は、音楽事業部のみならず、ボランティアさんらもスタッフに参加してくださいました。鮮やかな手作業に感服です。(村井二葉、大河内千菜、外山千尋 、海野菜々子、山下菜穂、遠藤由加里、佐々木菜子)。受付に渡辺晶子さん(ppsスタッフ)ありがとうございました。
男手として、パンデイロチームジングルジムより玉井正剛さん。
スタッフの記録をしてくれた「福澤達朗」さん(ガドガド、こどもの城、楽団ぺとら)、
写真撮影、MENGOさん、ほにゃ〜さん、大変お世話になりました。
リハーサルに参加してくださった佐藤 一人さん(こどもの城)、近藤治夫さん(楽団ぺとら)いつもすみません。金子慶子さん(クアトロコーリスマネージャー)には、受付から、照明係までありがとうございました。
美術班スタッフについては、後記させていただきますね。
各方面、ミュージシャンの方々におかれましては、ステージではご紹介しきれませんでしたが、
フリー歓談タイムにて、兄、姉を含め中心スタッフから、たくさんのお声がけをさせていただき、貴重なお話を拝聴できました事を光栄に存じ上げます。後日、皆で共有させていただきたいと思います。
最後に、総括、司会進行をさせていただきました筆者(坂本真理)。
中学生の時、武蔵美の芸術祭でサンバパレード、渡辺亮さんのビリンバウの演奏を観て感銘を受ける。
92年〜94年、「こどもの城」にて、亮さんが連れてきたサンバ仲間として「小澤敏也」と出会う。
2007年に再会、2009年、ホームページ、パンデイロウェブレッスンの制作より助手として、
オフィスジングルジム(小澤敏也企画のチーム名、パンデイロチームジングルジムとオフィスジングルジムを2009年に同時に設立)に参加。楽団「ぺとら」、小澤敏也DUO、各種ワークショップなどを共催、共演の経験を数多く持つ。現在、遺言と、遺族の依頼を受け、パンデイロッカーHPの書き手を務める。
(Facebook 、Twitterにおいて、期間限定で「追悼ライブ」などの拡散の必要がある時に書き手をしておりますが、時期をみて本人のアカウントは閉じさせていただく予定です。)
〜小澤敏也ナイトは、一夜限りのお城です〜
こんなにたくさんの人々が、ひとつの気持ちになったのは、
これはもう、「お城」なんだよね。
「つるさん」
後記は、あともうふたつ。
「美術部篇」「ギフト篇」をお届けさせていただく予定です。お楽しみに。