パンデイロヲタタケバ ギフト篇

「パンデイロヲタタケバ」の後記、最後のご報告になります。

ギフト篇とタイトルをつけましたが、

ここでは、主催者たちの思いを中心にした描写になると思います。

(撮影 メンゴさん)

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小澤敏也の姉の恵子さん。

今回の担当は、記念品のギフトと、パンデイロを形どった花でした。

(撮影 恵子さん)

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1/13にでんでらキャラバン赤松隊長のご自宅にて、ギフトについて、赤松隊長から、

「もらってうれしい形見わけのようなもの」

というアイディアを頂き。その足で、姉、兄の待つ小澤家に行くと、

「小澤敏也が遺したステージ衣装用のドレスシャツを切って、キーホルダーにしよう!」

という事になり、恵子さんが担当する事になったのでした。

シャツを切るという手作業を200個以上のキーホルダーにひとつひとつ手作りをしたことは、

後で、いろんな意味があったと、報告をしてくださいましたが、

亡き弟と向き合う時間でもあったようです。

裏面のイラストは、本ホームページにもイラストを飾ってくださっている柚木ミサトさんのジングルジム設立時に描いてくださったものに、ロゴの色を小澤の人生のいろんな時代を色分けして表現したものを兄 和也さんがデザインしたものです。

ここのところの作業工程は、いつも恵子、和也、筆者の3人のメールで共有されており、誰がいつ、どんな作業をしているのかを励みに、それぞれが細かい作業をしていったと懐かしく思います。

特徴として、

「これから○○をやります!こんな意気込みです!」と、ファンファーレを鳴らしつつ、邁進するのが姉。

こっそりではないけれど、さりげなく自分の気のついたことを静かに遂行させるのが、兄。

という印象で、それぞれ小澤敏也な部分を持っていて、きょうだいって不思議だなぁ〜と思いつつ、

お二人を応援する事に徹していました。

兄 和也さんは、等身大のパネルや、観光地にあるような顔の部分が穴になっていて、ご来場の皆さんが小澤敏也と記念写真を撮影できるようなフォトコーナーを制作。ギフトを入れてお渡しした「パンデイロッカー印(山田麻子さんの作品)を、紙袋にひとつひとつ捺印する作業もコツコツとやっていました。

スタッフバッジも小澤家の家族の協力のもと、製作されました。

(撮影 金子慶子さん)

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ご来場だった皆さんが、まず口にされたのは、

「小澤敏也を偲ぶ会で、まさかこんなにフードが豪華だとは思わなかった!」

病気になる前の小澤は、松屋とマクドナルド、たこ焼きの他は、缶コーヒーと、甘いもので生きていたような印象だったと思うので、「食にこだわった闘病生活」を表現していたフードは、意外と思った方もいたようです。

そして、映像も評判でしたが、

手作り感のある装飾や演出にも、びっくりされた声が多かったようです。

筆者は、準備のために兄 和也さんといっしょに東急ハンズに行ったときに、

小澤と似てるなぁ〜、と思ったことと、

違うなぁ〜と思ったことが両方ありました。

亮さんと同じ武蔵美出身で、建築家である兄 和也ワールドも、

人柄と同じく、静かだけれどもベクトルを放っていた空間でしたね。

 

 

兄

 

(撮影メンゴさん)

 

「パンデイロヲタタケバ」の前日に、

「俺は明日、いったい何を着ていったらいいんだろう?」

と、いいつつ、映像で流れていた小澤敏也が着用していた「ローリングストーンズTシャツ」をちゃあんと着てパフォーマンスとした兄 和也さん。

当日の班入車から運んでこられた時に、便宜上、遺影をくるむために覆っていたアフリカの布を、そのまま自分の身にまとって衣装とした姉 慶子さん。

モノづくりが好きで、それぞれが独自の世界観を持っているご3きょうだいだったという事を証明するようだったと感じました。

 

 

さて、

ギフトという事から少し外れますが、

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(撮影メンゴさん)

会のはじまりに演奏したシルクドソレイユの「コルテオ」について、ご説明させていただきます。

「オラが死んだら、コルテオ(葬式行列)を演奏しておくれ。

そしたら、オラは、上からその行列について歩くだよ。」(つづく)

こういいながら、

自分が死んだら、こうして化けてでるから、

こんな風に雲が動いたり、風が笑ったら、

それは自分の仕業だからと。

でも、死後に時間がたって、縁のある人の事を自分自身が忘れてしまわないように、

覚えていられるようにしなきゃね、と独自に工夫をこらそうとしていました。

「シルクドソレイユ」について、

小澤は特別な思入れがあり、未来の計画にも描かれていることでした。

自分の「美観」を大切にしていた事に理解を示していた友人たちが、

この思いの実現に協力をしてくれました。

舞台監督 渡辺隆雄(PPS)

リズム番長 佐野篤(KING)

ありがとうございます。

演奏 後列左よりスルド 佐藤 一人(こどもの城)タンタン 佐野篤(KING)  Tb佐野聡(KING 、クアトロコーリス)山下定英(クワトロコーリス)

前列左より ヒュメルヘン(欧州小型バグパイプ)近藤治夫(楽団ぺとら)、遺影Per 坂本真理(楽団ぺとら)、ピアニカ福澤達朗(楽団ぺとら)

 

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「小澤敏也を偲ぶ会は、こんな形にしたら良いんじゃないか?」

生前にいろんな分野でおつきあいを小澤がさせていただいた、様々なご縁の筋から、

いろんな意見が寄せられて、

結果的にそれは、それぞれの皆さんのそのまわりの方々がそれぞれとり行う会へとつながっていき、

小澤敏也のきょうだいと、家族同様だった渡辺亮と、助手の筆者の四人が立ち上げた会は、

このような形となりました。

 

小澤は在宅で介護が必要なくらいの時期でも大変なおしゃべりで、

しかも、しきり屋でした。

「お姉ちゃんは、足、マッサージして、

ゲップがしたいから、まりちゃんは、背中さすって」

冗談ではなくて、まるでサッカーの試合中くらいの勢いで、介護にも指示が出ていたんですよ。

 

同居している兄 和也さんには、タバコを吸いに換気扇の近くへの移動を頼み、

兄嫁さんには、ファックスなど細々としたことをお願いするなど、

「この人にはこの役割」という事を自分であらかじめ決めておいて、

それぞれの負担を軽くしようとしてくれていたのだと思います。

「パンデイロヲタタケバ」にご来場くださった方々が、

主催者や小澤の近しい友人でスタッフをしてくれていた人々が、皆、小澤の名のもとに集結し協力しあっている姿を感じてくださったことと思います。

 

それは、

小澤敏也が、生前にそれぞれの皆さんに愛を配っていたからなのかもしれませんね。

 

「偲ぶ会っていうのは、死んだ人のためではなく、遺された人のためにやるんだよ」

KING佐野篤さんが、筆者が迷走するたびに投げかけてくれたことばです。

この世からいなくなるひとと、

お別れを言う気持ち。

 

本当にたくさんの事を学ばせていただきました。

「パンデイロヲタタケバ」は、おかげさまで良い会になりました。

今後とも、本ホームページは、小澤敏也パンデイロチーム「ジングルジム」、パンデイロウェブレッスン、小澤敏也追悼ライブなどのご報告をさせていただくために継続をいたします。

(フェイスブックアカウントは閉じ、追悼のファンページを作成中です。その他のものに関しても、順次に対応予定です)

 

今後ともよろしくおねがいいたします。

 

オフィスジングルジム 助手 坂本真理

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