マルメラアダの阿部さんの来訪
東京西巣鴨にあるサンバの楽器やプロパーカッショニストが通うお店のマルメラアダの店主 阿部 博さんのお話は、小澤敏也からたびたび聞いていました。
小澤敏也が、皆さんが知っている小澤敏也になるためには、「マルコス・スザーノ」奏法を日本中に広めて、サンバやショーロのための楽器と思われていたパンデイロを、ドラムのように自在にロックやポップスに応用する人への門を開いたという謳い文句があります。
マルコス・スザーノが日本で初めてスザーノ奏法のワークショップを開いた時に受講した最初の25人に入れたこと。
これが、小澤の運命を変えたと、皆さんにも言っていたと思います。
これには、この後のことばが実は続きます。
「人生には、チャンスは、数回しかない。大事なのは、そのチャンスの神様の前髪を自力で、しゃかりきになりふりかまわずにつかみとることだ。」
小澤は、その時を自分の転機と考え、必死でくらいつくために、マルメラアダの阿部さんとともに、スザーノさんが日本各地にスザーノ奏法を広める時の運転手として名乗り出て、自分がなるたけその場にいようとしたということです。
くらいつかなかったら、東京でのワークショップ1回しかその年にはチャンスがなかったところ、他の地に行く時にも同行をして、なるべく多くをつかみとろうと思ったそうです。
そうやって、チャンスは掴むもの。
それができる勇気があるものが、力をつけられると、言っていました。
だから、阿部さんには、本当にたくさんの感謝をしていたし、信頼をよせて、いろんなカスタマイズをお願いしていました。
阿部さんの方でも、「これは」と、小澤が演奏するのにふさわしい楽器が船便で届くと、小澤に連絡をくれていたようで、この時の電話を受けていた時の嬉しそうな小澤の顔は、本当に輝いていました。
阿部さんは、楽器の行き先にも、きちんと気を使っている方なのだと思います。
小澤は、初心者がパンデイロを購入する時には、時間が許す限り、自分も楽器購入の場に立ち会っていました。
小澤の死後、「パンデイロヲタタケバ」(偲ぶ会)や、楽器の管理のための引っ越しなどが落ち着いた頃から、私は渡辺亮さんにつないでいただいて、阿部さんの元に通うようになりました。
各分野のパーカッションの方々にもアドバイスをいただいたり、レッスンに通ったり、ワークショップにも参加して、私が管理している楽器については、次の目標である「小澤敏也の楽器博物館」展示にむけて準備をすすめて知識を蓄えているところです。
あまりに私が、何回もマルメラアダを訪れたり、修理をお願いしたりしているうちに、
阿部さんの方から、
「修理をして、元の形に修復をすべきものと、小澤敏也がこんな風な壊し方をするくらいの演奏をした証拠に博物館展示ように、そのままをキープするものを決めた方がよい」
というアドバイスをいただき、今日は、貴重な定休日に、そのために足を運んでくださいました。私が、いろんな方にお尋ねした結果まとめた「小澤敏也楽器所蔵リスト」(これは、渡辺亮さんが、亡くなった翌日に、私への宿題として与えてくれた課題でした)を参照しながら、楽器の生産地など、間違っているところをひとつひとつ訂正しながら、新しい情報も付け加えてもらいました。
意外な収穫は、カメルーン産の楽器がけっこうあったこと。
教育楽器メーカーの楽器を小澤が集めていたとわかったことです。いえ、小澤があえてそれを遺したということかもしれません。以前にもご報告しましたが、小澤は終活で、こども関係、リトミックが専門である私に必要な楽器のみを残し、あとの大半は、(フォルクローレ、カリブ、ラテンなどの分野のもの)は、すべて処分してしまったからです。
阿部さんにひとつひとつのパンデイロをチェックしていただき、
楽器リストの全ての楽器を診ていただきました。
お手柄というか、
奇蹟もおきました。
小物楽器のキャビネットで、カゴに入れてひとまとめにしているクラベスの片方がないものがありました。同じ大きさ、同じ形のものが見当たらないので、そのままにしていたところ、なんと!クラベスには、叩くほうと叩かれる方の大きさが違うものもあるそうです。私は、音大の専攻外生の打楽器アンサンブルに4年間所属をしていて、音楽の中高教員免許も持っているのですが、本当に、こういう事は、知らなかったですねぇ〜。
クローズアップしてみました。(写真の掲載をご了解いただいています)
叩かれる方のものは、私は、ウッドブロックの仲間の分類をしてしまっていて、
リボンクラッシャーなどの鉄ものと一緒に、湿気厳禁のキャビネットには入れていなかったので、これは、本当に楽器に申し訳ないことをしたなぁ〜と反省しています。
小澤が80年代に使用していたと予想される大きい径のパンデイロと、
皮ヘッドのタンボリンが、同じメーカーという事がわかりました。
これは、もう。
渡辺亮さんがみたら、
「お、兄弟やね。」
と、言ってくれそうです。
小澤の楽器コレクションには、
亮さんからのお土産、亮さんととりかえっこしたもの、亮さんの楽器と兄弟のものがあります。
小澤が使用をしていた訳ではないのですが、楽器の収納棚を亮さんが寄贈してくださった際に、小澤が持っているヘピニキをみて、
「このヘピと兄弟がいるから、持っておく?」
と、亮さんから、小さい弟ヘピニキをおあずかりして、サインしていただきました。
そんな様子も、今日、阿部さんにも見ていただいて、
小澤の遺志の、
「楽器は、厳選して遺す。楽器をバラバラにすると、自分の身体がバラバラにされるようだからそれはしないでほしい。ここに集めた楽器は、自分で選んでくみ上げた大きなパーカッションセットのようなものだから、小澤敏也を偲ぶ時に、ここに集めた楽器をみて、俺を思い出してほしい。」
を確認しました。
こうして、楽器の兄弟同士を並べたり、
楽器と同じように遺してくれたこども用の手作り楽器をつくる素材や、工具。
それと、作りかけの手作り楽器も、プロ仕様の楽器とともに同じ空間にいること。
実に小澤敏也が選んだセっトアップだと思うのです。
そこには、愛弟子のジングルジム玉井正剛さん製作の巨大パンデイロもあり、
小澤とゆかりの人の作品や追悼曲も展示してあります。
これを、近い将来、小澤を演奏で知った方や、小澤敏也を研究したい方にも見ていただける場を設けるために、小澤敏也の遺族とともに、準備を進めているところです。その時には、またご報告をさせていただきたいと思います。現在、ここの場所などは、セキュリティ上の都合で、公表、公開しておらず、一般の方をご招待をしておりません。ご了解ください。