楽器の兄弟、楽器の絆
ちょっとうまくまとまるかどうか心配なのですが、長いのでお付き合いいただければ幸いです。
シルバーや真鍮で、ちゃんと音の鳴るパンデイロのアクセサリーを作りましたよ、ということと、ヘピニキの兄弟のお話です。
小澤が19歳の時から亡くなるまで、追いかけつづけていた渡辺亮さんの魂の楽器はビリンバウ。そして、亮さんの首元には、いつもビリンバウのチョーカーが。
生前、小澤はこれが羨ましくて、自分もパンデイロのアクセサリーが欲しくて、いろんなものを試したり、いただいたりしていたのですが、
「惜しいなぁ。これでジングルが鳴ればなぁ。」
「おれは、ジングル5個がいいんだよ。」
「オーダーすると、5万はするよな。欲しいなぁ。」
店主の気まぐれで、いつか偶然置いてありそうなお店が吉祥寺、立川、豊洲、入間にあり、パトロールしていたくらいです。
小澤の生前叶わなかった夢を実現させる方法を胸にとどめておいたら、縁があって、私自身が彫金を習って作ることを思いたちました。それで、その決心を、武蔵美では、金属加工の藝術を専攻していた亮さんに伝えると、金属の溶ける温度の事などを講釈してくれて、一緒に楽しみにしていました。
そして、そんな事を話していた日の最後に、亮さんと私は、小澤の遺したバクリーニャに似ているマルメラアダの阿部さんの創作楽器を改造する作業をしていました。
マルメラアダの阿部さんに鑑定していただいて、これが稀少なものだとわかった後で、
「もったいない」
という人もいると思うのですが、小澤の意志は、「楽器を活かすこと」なので、亮さんと話し合って、
「ツルと、昔、こうやってよく遊んだんよ。」
と、お互いが持っている楽器のパーツとパーツを交換して遊んだという図をやってみようという事になったのです。
それで、私が、最近、小澤のミニティンパレスのヘッド交換のためにマルメラアダで買っておいたタンボリンの青いGOPEのプラヘッドを持ってくると、これに変えてみようという事になり、本当に、亮さんと小澤は、昔からこんな事をやっていたんだなぁ〜という感じを再現してくれていました。
それで、この楽器は、亮さんにそのまま持ちかえってもらって、更に調整をしてもらって、いつか音を小澤の代わりに鳴らして欲しいと私がお願いすると、
「きょうだい」という言葉が亮さんからでました。
亮さんと小澤は、実にこの「きょうだい」という言葉をよく使います。
以前、本HPでもご紹介したアタバキの兄弟物語もそうですが、ヘピニキにも、こんな小さい弟がいます。
これは、小澤が遺したものではなく、小澤が亡くなった後に、亮さんが、
「これは、ツルのよく使っていたヘピ(KINGのシールがついている大きなヘピニキ)の弟だから、まりさんが持っていたらええよ。」
と、言って、私の手元に置かせていただいているもので、その時に、亮さんのサインをいただいたものです。
それで、いろんな演奏の機会がある中で、ちょうど「ヘピニキ三兄弟」が揃えるタイミングがありました。
沢田穣治さん率いる『Banda Choro Eletrico』@プラッサ11でのライブです。
当日に、私が亮さんに、
「今日、エレトリコ行きます」
と、連絡すると、
亮さんから、
「ヘピニキ三兄弟持っていきます。」
私は返信の代わりに、
「じゃ、亮さんのタイプのパンデイロ持っていきます。」
と、楽器も人間という感じのやりとりがありました。
「これ、普通の人には、わかんないやりとりだよね〜」と、思う人がいればいるほど、
なぜか小澤はすっごく喜ぶだろうなぁ〜と思いました。
亮さんのタイプのパンデイロというのは、
これです。
マルメラアダの阿部さんの作品です。
亮さんが、小澤が遺したパンデイロの中で、
「これ、一番好き❤️、タイプ❤️」
と、言ったものです。
時間軸はちょっと前になるのですが、
年末に、パンデイロのアクセサリーを作ろうと決めた時、
そのモデルは、このパンデイロにしようと思っていました。
小澤には、遺影で一緒に写っているスキンディープの個人作家の作品や、コンテンポラーニャの皮ヘッドに斜線が入っているものなど、その時々の「エース」と彼が呼んでいるものなど、歴代のエースがあるのですが、でも、小澤がこの場にいたら、
「せっかくだから亮さんの好きなパンデイロにしようよ」
と、言ったと思うのです。
「それで、これを亮さんの餞別にしよう」って。
もう会えなくなるわけではないけれど、生活の拠点を京都に遷す亮さん。
今までも、そんなにしょっちゅう会えたわけではないけれど、
「ちょっと、仕事でこっちに来たから」
というようなその日になって急に会えるような事は、もうないかもしれないし、やはり小澤にとっても寂しい事だと思うのです。
それで、その気持ちをこめてつくったちゃんとジングルが鳴るアクセサリーが、ちょうど、この日に出来上がったので、その日のステージで飾ってもらえる用な台紙をつくって、餞別としてもらってもらいました。
この写真は、オフィスジングルジムとして、宣材として私が撮影したものを、広島の大峰さんが、デコレーションしてアイドル団扇をつくったもののレプリカです。
なぜ、台紙にしたかというと、亮さんは、いつもビリンバウチョーカーを見につけているので、パンデイロアクセサリーは、ペンダントではなくて、置物になるかなぁ〜と思っていたからです。でも、この日、亮さんは、ビリンバウとパンデイロの両方を身につけてくれました。亮さんが、身体を揺らすと、パンデイロも鳴るのです。これは、小澤は嬉しかったでしょうね〜。
それで、ヘピ三兄弟もそろいました。ボンゴの皮を貼っているのが、小澤が持っていたののと同じバクリーニャのような阿部さんのオリジナル楽器。亮さんは、これを改造して、このようにしたそうです。それと、ちょっとスルドのような音がするカリメロのステッカーのヘピ(長男)、次男は、皮なのでジェンベのような音、青の三男は、タンボリンヘッドなので、タンボリンの音がします。
「だったら、わざわざヘピニキにしないで、それぞれの楽器にしたら〜〜」
という人がいたら、
小澤はとっても喜ぶと思います。
小澤は、そんな亮さんが大好きだからです。
まるでポケモンと、ポケモントレーナー、マスターのようにね。
楽器にも、自分の意志があって、
「そろそろ、あの人に会いたいなぁ〜」
というような感性があるであろう、という人たちと、
小澤は一緒に生きていたんですよね。
私も、自分でパンデイロのアクセサリーを鳴らしてみようと、一生懸命いろんな工夫をしてみて、はじめて、仲間に入れたような気がしてしました。
そして、この話には、素敵な結末がつきました。
小澤が厳選して遺した楽器を管理し、活かしていくために、楽器リストをつくりました。
その時に、わざわざ私のところに足を運んでくださり、鑑定や修理が必要なものをピックアップしてくださり、その後、パンデイロを1個ずつマルメラアダに運び、修理をしていただいている阿部さんにも、私の気持ちとしてこのアクセサリーをもらっていただきたかったので、進呈しに伺いました。
一度、店を出て、
「あっ!」
と、思って、思い出した事があり、再び、マルメラアダ店内に足を入れると、
こんな可愛い風景が!
御会計のレジのところにある、可愛いマスコットが、小澤パンデイロネックレスをかけて、ちょこんとしていました。
下の写真は、製作過程です。同じようなものを製作されたい方のご参考に。
ヘッド部分は、プラ板をコンパスで切り取っています。リング状にした輪の中を割らないように注意しながら、ジングルの穴をけずりとります。ご覧のように、ジングル部分は、1個の型で済むようにしてあり、3枚重ねてぷっくりした形にしています。タハッシャの部分は、別途、蝋をたらすようにして、表現をしています。このような製作手順は、すべて、指導していただきました。
今回、私が作成したのは、これです。(写真は、FaceBookのSD WAX ページよりお借りしました。)
下高井戸のソリッドデザインというお店の長村先生に丁寧に指導していただき、PANDEIROCKER刻印は菅野さんに入れていただきました。製作受講中には、小澤敏也パンデイロウェブレッスンを一緒に視聴していただき、楽器の特性を理解していただきつつ、型を心棒、ジングルとフレームと別にとる事で、実際に音が鳴るという事が実現しました。この場を借りまして、御礼申し上げます。
阿部さんのつくった亮さんの好きなパンデイロをモデルに作成しました。5ジングル、指穴あり、タハッシャは、時代性を考えて、ハテナの角度で表現してみました。何より、ちゃんとヘッドを金具で押さえてあるデザインは、タンバリンとの絶対的な違いで、パンデイロがパンデイロであるところなのではと思って作りました。プラチネイラは、気持ちだけかもしれませんが、3枚仕立ての気分です。そして、意外といい音でなるので、ちょっとジャンプすると、シャンシャンいいます。
私も、小澤がいつも口にしていた楽器愛を思い出しながら、製作をしてみました。
そして、亮さんも、阿部さんも、楽器に愛を感じていらっしゃるなぁ〜と、いつも感じています。
そんな出来事がありましたよ、っていうご報告でした。
おしまい。