小澤敏也ナイトvol.6タンバリン祭り「座談会」

11月に入りました。2013年の11月に小澤は亡くなったので、まる2年になるのですが、
命日に近い日程で、三回忌をとりおこなう事になっています。
仏教では、そのような数え方をするそうです。
「タンバリン祭り」を終えて、
小澤が自分が亡くなった後の事を指差してくれていた事を皆様も、
いろんな思いで受け止めてくださっていた事を、
様々な場で、おひとりずつと、じっくりと語り合えた気がしています。
出演者それぞれは、もちろん、
「俺は、ブラジル音楽の片隅にいさせてもらっている。」
という小澤の認識をよく理解してくれているブラジル音楽関係の先輩や、
小澤の魂の兄貴、渡辺亮さん(パーカッショニスト、画家、妖怪研究家)とも、
じっくり、じっくりと、「タンバリン、タンバリン」と、パンデイロを持って、こどもの城の音楽ロビーでこどもたちの中に入っていた小澤の姿を思い浮かべながら、いろんなことを話しました。
それぞれの人の中に、いろんな「タンバリン」があることに気づいたこと。
私は、「タンバリン」を愛する人同士が、ともに集う事を望んだと思っていたけれど、
本当は、もっと謙虚な気持ちを教えたかったのかもしれないと反省しました。
「タンバリン祭り」というタイトルも、小澤が遺したものなので、使わせていただきましたが、
本当は、その言葉を使わせていただく資格など、まだ、私のオーガナイズ力では、役不足だったと、自分でも感じる事ができたし、事実、そうゆうご指摘も頂戴しました。
でも、
「タンバリン祭り」で、それぞれのジャンルの看板を掲げているミュージシャンたちの、休憩時間に飲み物を手に交わされた言葉は、たくさんの実りを産みました。そこから、いろんな発展につながっていった様子も伺えるし、また、そこにはいなかった人たちのなかにまでにも影響を少なからず与えたと言ってくださる方もいました。
「タンバリン祭りに小澤さんがいたらなぁ〜。」
「小澤さんがいたら、もっと違ったのになぁ〜。」
皆さんから、同じように、そう言っていただける集いが、「小澤敏也ナイト」として、立ち上げられて、本当にやって良かったと、今は、心から思っています。
「座談会」の映像も、一部ですが、公開させていただきました。
様々な気配りをしながらオーガナイズをしてくださった立岩潤三氏(楽団ぺとら アラブパーカッショニスト)に感謝いたします。