小澤敏也とパンデイロッカー

久々の投稿です。

昨夜、来日中のマルコス・スザーノさんが参加されている宮沢和史さん率いる「GANGA ZUMBA 」の公演を観てきて、

「今年もスザーノ師匠を見てきたよ!」

と、心の中で小澤に報告をした気持ちをここに記しておこうと思っています。

GANGA ZUMBAには、ピカイアパンデイロスペシャルで、小澤とともに、ダブルパンデイロで双璧をになっていた宮川剛さんが、ドラムとして、リズムの柱として中心にいる印象です。

そして、同じ多摩地区在住という事で、共演した際には、荷物も積み込み風景をお互いに、車の前で鑑賞しあうなど、本当に、「大好き」と言っていた今福健司さんもラテンパーカッションを担当されていて、サウンドの南米な部分を牽引されている様子です。

そして、私は残念ながら、面識はないのですが、ギターの高野寛さんは、小澤が亡くなった時に、ツイッターで、弔意を表明してくださいました。これは、私たちの中では、ちょっとしたニュースでした。推測ですが、もしかしたら、小澤に興味を持ってくださっていたのかもしれませんね。

そして、小澤のパンデイロの師匠。というか、もともと好きだったパンデイロという楽器を、「俺の一番の楽器」にしてくれた恩人がスザーノさんだと聞いています。

 

小澤にとって、激動だった33歳からの数年間。

ご存知のように1994年 (33 歳)「オリジナル・ラブ」に参加し、全国をツアーし、テレビにも出演する存在でした。。パーカッショニストとしての存在価値に、ものすごく悩んでいたとのことで、それを私には、顔で、「こんな顔してこんな演奏」という表現をしていました。その時代に求められているパーカッショニストは、たくさんの打楽器(使わないものも含めて)を要塞のように並べて、でも、その中で、モンキータンバリンを笑顔で降っている。自分は、本来、ギタリストのように、一つの楽曲で、一つの楽器を演奏するというスタイルを貫きたいと思っていたのも、この頃の反動なのかもしれません。

1995 年(37 歳)の時に、マルコス・スザーノさんが、日本で初めての「スザーノ奏法パンデイロワークショップ」を開きます。

「日本で、初めてスザーノ奏法を知る最初の25人に入れた。それが俺の転機」

そして、小澤はそのまま、全国をワークショップ巡業をするスザーノ氏の運転手役を買って出て、

それで、少しでもスザーノさんのそばにいようと思ったそうです。

19歳の時に「武蔵美サンバ」で、パンデイロという楽器があることを教えてくれた広島在住の大嶺さんとスザーノさんのことは、いつも、心に留めている様子でした。

「俺は、自信を持って、プロフィールに書いちゃってるもんね。スザーノ氏に師事って。」

そして、パンデイロに、没頭して、スザーノ奏法の日本における第一人者になるための練習に専念するために、
2001 年(40 歳)オリジナル・ラブを辞めます。

そして、毎日、多摩川の河原での個人練習を始めたそうです。
2005 年(44歳)離婚
2007 年(46歳) 母死去

と、プライベート環境も激変しながら、頭の中に「パンデイロバカ」という言葉が浮かんできたそうです。

本HPの構想ができ始めたのが、同2007年。

「パンデイロでロックするから、パンデイロッカー。世界中できっと俺だけだべ。」

というアイディアを最初、鼻で笑っていた私が、

イマジンさんの協力で、「パンデイロッカー」のドメインを取得していただき、

こうして、今もHPを更新し続けています。

「亮さんにとってのナナのように、俺にとって、一番の楽器の師匠を見つけたかった」

兄パーカッショニストとして、「武蔵美サンバ」「浅草サンバカーニバルウニアン」「こどもの城」「ガドガド」と、小澤の先頭を歩き道知るべとなっていたパーカッショニスト渡辺亮さんが、ナナ・ バスコンセロスを慕っているように、

自分にとって、大好きな人をずっと見つけたかったそうです。

パンデイロは好きだったけれど、スザーノさんに出会ってからは、もっともっと好きになったそうです。

 

小澤は、中学高校と主将も務めたほどのサッカー少年でした。だから、一緒に音楽をしている上でも、

「パスにうるさい」

それは、よくドリフターズにたとえていて、

「いいか、ドリフはな。誰かがボケるために、前に出ると、他がスっと引くんだ。あの「いかりや長介」ですら、みんなと後ろに行くんだ。」

最近のミュージシャンの中には、体育会系の経験のない人が多いことから、その「パス」の概念が伝わらないと、よく嘆いてもいたし、

一緒に楽団「ぺとら」で、主に子供むけの興行をしている私にでさえ、

「そのパスの受け方がなっとらん!」

と、小言が飛びます。

そういえば、音楽での女房役というか、「ピカイア」「ピカイアパンデイロスペシャル」の相方の渡辺隆雄さんも、学生時代は、サッカープレイヤーでした。

 

「小澤敏也は、音楽でサッカーがしたかった」

と、よく言われていますが、

サッカーを含め、「パス」の概念がない人とは、めっきりダメだったような愚痴を沢山聞いています。

なんで、そんなことまで、

思い出したのかというと、

昨夜のスザーノ氏のパス、パス、パスの笑顔の演奏の姿を見て、

ずっと、そのことを考えていたからです。

スザーノさんと演奏するということは、

本当に、音楽で、キャッチボールをするような気持ちになったのでしょうね。

 

宮沢さんのMCの中で、

「ガンガズンバ」というグループ名も、

実は、スザーノさんの発案だと、伺いました。Ganga Zumbaとは、実名からの由来だそうです。

「ガンガズンバ」は、スザーノ氏を含むメンバーで、2007年の紅白歌合戦にも出場されていますが、

紅白では、同年に小澤も、「美川憲一 さそり座の女 ラテンバージョン」のパーカッションの重ね撮りの音源で参加をしています。(音源収録 サウンドスタジオダリ 橋本正司氏)

 

小澤が大好きだったスザーノさんのパンデイロの演奏。

日本が誇るパンデイロ製作者の戸田輝彦さんの製作された素晴らしいパンデイロをメインに、

カシシなど、様々な小物パーカッションの演奏もされていました。

その全ての瞬間が、笑顔のパスのある、対話のあるコミュケーション豊かな演奏でした。

 

そして、

ライブの中で、

「ガンガズンバは、解散しない」

という宮沢さんの言葉もありました。

スザーノさんのガンガズンバ、また見られるのかもしれませんね。

 

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