所蔵パンデイロの年代順並べ
マルメラアダ阿部さんの来訪の翌日、
小澤敏也の兄パーカッショニストの渡辺亮さんが、今度は、パンデイロを小澤の使用していた年代順に並べる作業を監修してくださいました。
この使用していた年代に着目するという発想は、小澤とのつながりも深いパーカッショニスト、映画監督の翁長巳酉さんが、私が最初に小澤のパンデイロ一覧表を作成した時にアドバイスをいただいて、機会を持っていたものです。
最初の写真は、亮さんが、じっとジングルを見つめているの図なのですが、
ジングルの形と、金具の形で、おおよその年代がわかるそうです。
製作サイドの技術が向上していって、大量に生産できるようにシンプルになったという感じをうけます。
インターネットで情報を集める事のできない80年代に、
ブラジルの楽器を買うことがどんなに難しかったという話を確信したのは、
亮さんが部品をみて、年代をお告げのように言っていくのをみて、質問したところ、
「だって、毎年新しく出るのを楽しみに見ていたから」
という昭和の少年のような答えが返ってきたからです。
情報が溢れている現代と違って、少年たちは、
「新製品が出るのはまだかなぁ〜。」
と、待つ楽しみがあったのでしょうね。
だから、ひとつひとつのその年ごとのモデルをいつまでも覚えていられる。
キーポイントとなるのは、
『1981年のブラジル物産展』と、亮さんは言っていました。
それ以前と、それ以降では、情報や、入ってくる楽器の量が違っていたそうです。
だから、80年代初期の楽器はとても宝物。
この時代に小澤が入手したパンデイロは、どれもその当時のままです。修理が必要なものもあるのですが、大事にとってあります。阿部さんと相談の結果、修理をするものと、
「こんな壊し方をしました」と証拠としてとっておくものを選出していただいています。
亮さんが、アナログの良さを今も持っているなぁ、と思うのは、
小澤がパンデイロを持って写っている写真を「敏也苑」(亮さんが中心となってつくった小澤の追悼アルバム)をめくりながら、探して、それで、年代を「お告げ」してくれます。ここで言う年代は、あくまで目安で、亮さんと私で「ランキング」のようなカジュアルなものとして並べているものです。
全部で30個あるパンデイロのうち、また遺族の皆さんの数分は、各ご家庭に戻っていく予定なので、ここに並べているのは、あくまで博物館的な意味合いを持って保存しておこうと思っているものです。阿部さんの鑑定の中で、「寿命」と言われた古いGOPEもあるのですが、それもまた、この年代ランキングの中にいることで、存在感のあるものになっています。
私が小澤と交流を持ってみていた2007年以降を見渡した限りでは、
小澤は、そのときどきの「エース」を持っていて、大事な演奏では、ほとんどそれを使っていたし、曲によって、パンデイロを変えるのは、せいぜいプラから、皮へ、くらいで、ひとつの楽器をとことん使い込み、ジングルの穴などに自分で細工をしつくして、
限界になった頃に、ちょうど新しい楽器と出会うという感じです。
IZZO→斜線コンテンポラーニャ→ピカイアモデル青径プラヘッド→個人製作ブランドレモスキンディープヘッド→個人製作ブランド皮ヘッドショーロ径軽量タ
と、歴代のエースたちを私はみてきました。
レモスキンディープのエースだけ、双子で、いつも二つを持ち歩いていました。
エース以外でも、「こどもの仕事用」「コント用」「自宅で作曲用の網戸ヘッド」など、バリバリの演奏用以外の目的のものもありました。
こうして、並べてみると、
小澤は生前から、自分で自分の博物館を頭の中では、持っていたのだと思います。
だから、すでに、自分としては、「小澤敏也のパンデイロの歴史」は、ただ並べるだけですむようにしてあるとして、私に「パンデイロは、フレームドラムを祖としたタンバリン族の仲間」というテーマを持って、管理をし、学んでいくように言ったのだと思います。
阿部さんの見極めがあって、
的確なこれからの道筋がたったタイミングで、
亮さんのまた違ったアプローチの年代ならべの作業があって、
その後の今日は、ご遺族のお兄さん、お姉さんともメールで、いろんな話し合いをしました。
博物館的な展示だけではなく、小澤が遺したバツカーダを演奏する目的の時には、遺族が管理するパンデイロをこちらでお借りすることも可能だそうです。
遺言としては、小澤は、最後のエースの軽量は、兄の和也さんに持っていて欲しいとし、それ以外は、自分を知ってもらうために、ひとまとめにして欲しいと言っていたのですが、葬儀の時、遺族の皆さんが、初めて「パンデイロウェブレッスン」をみてくださりながら、叩いている姿を見て、小澤の一番弟子の柳元武司と相談して、遺族の皆さんがウェブレッスンをするのに適した初心者向きのパンデイロを選んで、保管していただき、季節の変わり目には、ジングルジムメンバーで、メンテナンスチェックを行いました。
最近の私のテーマは、
「タンバリン族がブラジルに渡って、他地域では、縦持ちなのに、なぜか水平もちになって、すくって振ってジングルを鳴らしつつ、叩くようになり、その後、ドラムのように、いろんな音を出せるように進化した。その縦から横になったことが、ロマンなんだ。」
「そのロマンって何なんだろう。」
知っている人も多いと思うのですが、
小澤は、意外とロマンチストです。
乙女チックです。
だから、私に「ロマン」とだけ言えばわかると思って、
それ以上の事は言わなかったし、私も聞こうとしていなかったようで悔やんでいます。
でもね。
亮さんと、ほんとにゲラゲラ笑いながら、
「パンデイロ年代ランキング」というミッションを楽しんでいたらね。
亮さんの思考にちょっと馴染んできました。
もちろん、ひとつひとつのパンデイロを亮さんが音を出していくわけです。
すると、亮さんの好きな音もでてきます。
亮「これ、俺、好き。・・・・。タイプ・・・・。(ハート絵文字)」
不肖 ワタクシ、僭越ながら、
この子たち、パンデイロたちに、名前をつけてあげたくなりました。
亮さんの好みのパンデイロの名前は、もちろん、
「亮さん」です。
ね。
これは、もう。
ロマンですよね。
少し、近づいたと自分では、思ってきました。
引き続き、識者の皆様のアドバイスをお待ちしております。
フェイスブックの小澤敏也ページにも、意見交換の場を設けております。
特に、80年代くらいのパンデイロに多い指穴について。
1981年のブラジル物産展について、何か情報をお持ちの方がいましたら、
教えてくださいませ。
お披露目に向かって、ちゃくちゃくと準備進行中です。