ジングルジムの近況8/2 2015
パンデイロバツカーダチーム「JINGELE GYM」。
八月中は、9/3の「タンバリン祭り」出演のために、毎週、日曜日午前の練習会と、直前には、平日夜クラスも設けて、ペースをあげているところです。
「ジングルジム」は、小澤が存命中は、各種野外イベントや、小澤が出演するライブの1コーナーをもらってのライブ活動など幅広く活動していたのですが、やはり没後は、「小澤を追悼する」という意味も手伝って、縁の深かった「ピカイアパンデイロスペシャル」関連の場に出させていただく事が多かったので、お客様としても、「アフロ〜ブラジル」の世界観ということで、リズムの名称や地方の一部分を紹介するだけで、オーディエンスサイドとしても広がる風景があったと思うのですが、
今回は、「タンバリン祭り」なので、様々なジャンル、年齢層のお客様にむけて、
例えば「これは、サンバのリズムの中から〜」
という説明なのであれば、「サンバの通常の親指から発進するリズムパターン」を示すなどのレクチャー的な要素もかかせないと思っています。
そんな会話を代表の「やなふぃー」としていたところ、
前にもどこかで書いた記憶があるのですが、
小澤のオリジナルバツカーダ作品の「March」の話題になりました。
ちょうど、マイケル・ジャクソンが亡くなった年で、
立て続けにマイケルの映画「ムーン・ウォーカー」と「THIS IS IT!」を小澤と私は、劇場に観にいっていました。
Michael Jackson – They Don’t Care About Us
オロドゥン:Olodum(ブラジルのバイーア州にある国際的認知を得ているアフリカ系ブラジル人の文化団体)にインスパイアされた曲は、他にも小澤はつくっているのですが、「THIS IS IT!」を観にいった映画館でのことです。
「おい、お前は、このThey Don’t Care About Usという題名を覚えておけ。俺は、このリズムを今から覚えるから」
と、映画を鑑賞中に、小澤のインストールがはじまりました。
便利だなぁ〜と思う、小澤の機能について並べたらきりがないのですが、
パソコン作業のインストールはできないアナログ小澤ですが、
本気で記憶するとなると、「インストール」といいつつ、目を見開いて、ホントのサイボーグのような目がピカー★という体制になり、ホントに覚えてしまいます。
(余談:あと、もうひとつのサイボーグ的風景は、やっぱり集中して「音源から人数と収録方向を割り出す」ような時、ライオンキングの2幕目で、クリック音に集中しつつ、シンバの同行にもピタリとあわせたいために、ヘッドホンからはみ出る髪をどっちがライオンだかわからないくらいふりみだして聴く体制をとるというのも、ありました。)
それで、映画の帰り道は、スキップしながら、
「わぁ〜い。ジングルジムの新曲『まいける・じゃくそん』ができちゃった〜♪」と言って、ちょっと遠回りをして歩いているうちに、全曲のフレーズを太ももで叩いて作り上げてしまいました。
たぶん、天才っていうのは、こうゆう感じなんだのだと思うのですが、
「映画の中の軍隊のような黒い群衆からのリズム」を覚えるだけでも大変なのに、それを一瞬で覚えて、次の瞬間には、自分なりに組み変えて新曲をつくる。
そんな難しい事ができるのに、
小澤は、「They Don’t Care About Us」という英語のフレーズを覚えることは、とうとう終生ありませんでした。助手にまかせた仕事だから、俺は、俺のやる事に集中する。そんなような事を言っていたように思います。
だから、その後の国分寺のライブとか、荻窪のライブとか、ジングルジムがお披露目されるような時には、必私の方をみて、
「They Don’t Care About Us」と、私に言わせて、
「〜だ、そうです。」と、付け加えていました。
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小澤が晩年に執念で取り組んだのは、6/8のリズム。
「Canta Pandeiro」「Aflo Aflo」の両曲とも、
「6/8のカオス」とか「6/8のドロドロ」
というような事を、いつも車の中でもブツブツ言っていました。
「誰かが間違えて、ドロドロになって、誰も拍の頭がわかんなくなるくらいがちょうどいい。」
「6/8は、通常の日本人の生活の中には、絶対にありえないリズムだから、日本人が一番、理解しがたいリズムなんだ。」
私事で恐縮ですが、
私は国立音大の教育科で専攻はリトミックだったので、「6/8」は、リズム運動の実技のテストでも通過をしたし、授業でもスイス仕込みのダルクローズ式の訓練方法で、横に無限大を描くような図形のイメージで、身体の中に、叩き込まれた6/8の感覚があり、小澤のいう「おどろおどろ」というイメージというよりは、スイスの高原を飛び交うてんとう虫のような軽やかなイメージを持っていたので、小澤のその意見には、絶えず反発をしていたし、
「え” また、6/8の話。しつこい!」
とその時には、あまり聞く耳を持っていませんでした。
でも、他の人にも言っていた小澤の話をつなぎ合わせてみると、
「6/8を克服して越えた先に、はじめて見えるパーカッションアンサンブルの世界がある」みたいなのです。
今回の「タンバリン祭り」では、
タンバリン、フレームドラム界隈の方々や、企画にひかれて、または、ミュージシャン各自の魅力において、足を運んでくださる「パンデイロはじめまして」の方が多いと思います。
「タンバリン祭り」では、タンバリン族、みんなで横に手をつなごう!的な思いはありますが、
私たち小澤の門下たちが、決してパンデイロ全体を代表してモノを申しているわけではないし、どちらかというと、パンデイロ全体が大きな輪で算数のように表しているとすれば、ジングルジム自身は、輪のはずれの冥王星くらいのところにいる感覚が、私自身にはあります。
それは、小澤自身が、
「俺は、ブラジル音楽の人のなかでは、はしっこだから」
と、言っていたのにならっての事です。ブラジル音楽の人であるならば、ブラジルに居住しつつ、一時帰国で日本に情報を伝えるくらいのスタンスの方が、活躍なさっているからです。小澤は自分のやりたい事は、「ブラジル人がやっている事をそのまま持ってくるのではなくて、いかに自分しかできないことを出していくか」が勝負どころだと思っていたので、それよりは、「音楽でサッカーをする」ように後進の指導に力を入れたり、シルクドソレイユにトリビュートした、自分自身の表現活動を模索していったのだと思います。
もし、これからパンデイロをはじめたいと思っている人、
タンバリン祭りがきっかけで、本ホームページを観ていらっしゃる方がいたら、ネットを検索したり、楽器店で質問すると、様々なパンデイロを教える機関が、特に東京では、全部を試せないくらいある事に気づかれると思います。また、実際、現在、ジングルジムに在籍をしているメンバーの中にも、複数の教室をかけもちしている人や、渡り歩いた遍歴を持つ方が当然いるようです。
「本場のブラジルの雰囲気、王道のサンバ、ショーロが学べるパンデイロ教室」
「サンバのエスコーラから派生した形で、グループ内でパンデイロも学べる団体」
「パゴーヂで浮かないためのパンデイロ指南」
「楽器店で、ポップスを歌いながらパンデイロ」
「体育会系のパンデイロ」
「基本からしっかりパンデイロ」
「会社帰りに、気軽にパンデイロ」
等、いろんなスタンス、いろんなニーズにあわせてのパンデイロ教室があります。
我らが門下でも、様々な選択肢のもと、現役メンバー、巣立ったメンバーが指南の腕を競っております。
そもそも小澤敏也は、「パンデイロッカー」で、パンデイロでロックをしようとした人なので、サンバやショーロ専門の楽器と思われていたパンデイロをロックやポップスへの展開を押し広げようとスザーノ奏法の普及に尽力したというそんな立ち位置でもありました。
前途のように、オロドゥンの皆さんがやられていたような事に対するあこがれは、
サッカー、ペレと同じような輝きで小澤のなかには漠然とあったとは思います。
あと、今日のジングルジムの練習会の中で、リーダーのやなふぃーが言っていたのは、
6/8の基本パターンに出てくるような雰囲気の事を、
マルコス・スザーノさんは、来日する度にワークショップで、手慣らしでやっていたのを小澤は観ていたんじゃないかな〜、ということでした。
人は誰でも、無意識のうちに、自分から湧き出るリズムというのがあって、
小澤の場合も、「ドドドド」と、もうそれだけで、普通の人がパンデイロを叩いているんじゃないって感じの音がでて、皆、振り返っていたものです。(指が太くて短いので、そんな音がでたというのもあるとおもいます)きちんと思い返してみようと思っても、そんな手慣らしが何だったかは、明確には記憶から出て来ないのですが、イメージいうと、小澤のそれは、道路工事のような前進的、前へ前へという空中に→が見えるようなベクトルだったと記憶しています。
ブラジル発のパンデリスタは、それが6/8だった事が、小澤にはショックだったんでしょうね。
それで、何で、それが、日本人から自然にでてこないリズムなのか?
だったら、あえて、それがカオスとして混沌とした方が、かえって、「日本発」の「日本人にしかできない6/8なんじゃないか」
そんな事を小澤自身が考えながら、混沌としながら、
教えつつ、自分も迷っていたのだとも思います。
そんなわけで、
「タンバリン祭り」の告知から、こちらをご覧くださった「パンデイロはじめまして」の方へ。
ジングルジムをタンバリン祭りでみていただいて、
「パンデイロ、みんなで叩けばもっと楽しい」という小澤敏也の気持ちと、
「音楽でサッカーをやるために、たどり着いたのが、パンデイロバツカーダ」だった人がいましたよ〜、
という事が感じ取っていただけたらと思います。
また、
このページにたどり着かれたフレームドラム、タンバリン界隈の皆様。
パンデイロは、タンバリンの歴史の中では、新しい部類であることから、
つい、パンデイロが、「タンバリンから進化した」という言葉を使ってしまう向きもあるとは思いますが、
ワタクシは、今のここまで、そこに細心の注意を払い、「タンバリンから変化」という文言を使用しております。
四角いアデュフェがあるように、ベンディールがジングルのかわりに響き線を持ったように、パンデイロには、タハッシャがあるという認識でありますことを、この場を借りて、仁義をきらしていただく所存です。どうぞ、お見知り置きをよろしくおねがいいたします。
書き手 オフィスジングルジム タンバリン祭り主催 楽団「ぺとら」主宰坂本真理